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伊賀上野城
藤堂高虎が築いたこの高石垣は高さが日本一といわれている
伊賀上野城
場 所 三重県伊賀市上野丸之内106番地
訪問日 2005年2月20日(日)曇り
歴 史
別名:
白鳳城
築城年:天正九年(1581年)
築城者:滝川雄利
形状:平山城

天正九年(1581年)織田信長軍下の侵攻にあって焼失した平楽寺(平清盛が建てたもの)跡地に、信長の家臣滝川雄利が居館を築いたのが城の起源といわれる。(世に言う
天正・伊賀の乱
のちに秀吉の命で伊賀国主になった筒井四郎定次は城塞の大改修を行い、城下町の建設に着手した。
しかし、秀吉没後は家康が伊賀・伊勢領国の城主として
藤堂高虎を任ずる。
築城の名手であった高虎は、城郭を拡張、とくに大阪方(豊臣方)に備える為に、西方に広大な高い石垣をめぐらした。
この石垣の高さは日本一といわれている。また城下町を南へ移して完全武装した軍備の町を建設した。

天守楼は慶長17年(1612年)工事半ばにして暴風雨のため倒壊したが、昭和10年(1935年)川崎克氏が私財を投じて復興、現在の伊賀上野城を再建した。


【写真】横山大観
「満月」

群雲を払い 望月がさえざえとした青き光を地上へ降り注いでいる

※天守3階の絵天井は横山大観ほか色紙46点で埋めつくされている。


アクセス 近鉄上野市駅下車。歩いて5分。
問合せ先 0595-21-3148
開城日 年中無休(9:00~1700) 休館日は12月29日〜31日
入城料 大人500円

【写真】松尾芭蕉生家
伊賀上野城のある上野公園周辺は、忍びの息吹があちこちに残っていて、歴史と新しさがミックスした不思議な町でした。忍者伝承館・伊賀流忍者博物館では忍者のからくりが再現されていたり、土日祝は忍者ショーがみられます。また松尾芭蕉の生家とその菩提寺などを訪ね歩くうちに俳句の一つでも創ってみようかな・・・という気分になってきました(^-^)


三重櫓
内堀と石垣
藤堂高虎像
津城(跡) 
場 所 津市丸之内本丸
訪問日 2005年2月20日(日)曇り
歴 史
築城年:天正八年(1580年)
築城者:織田信包
形状:平城

信長の弟信包によって築城された。
信包は信長が伊勢へ勢力を伸ばしてきたとき長野氏の養子に入り、 天正八年(1580年)に、五層の天守閣を完成させ、城下町も作られた。
その後、富田氏が城主となり慶長5年(1600年)関ケ原の戦いのとき西軍の攻撃を受け、城・城下町とも戦火を受けた。
慶長13年(1608年)
藤堂高虎が伊予今治から移ってくると、城に大改修を加え城下町を整備した。
本丸を広げ、石垣を高くして北側の石垣に角櫓を築き、堀も整備したが天守閣は再建されなかった。

堀が「回」の字形に二重に巡っている輪郭式または囲郭式といわれる形の城である。
現在は本丸と西之丸のまわりに内堀が残っているだけである。

アクセス 津市役所のすぐ東

伊賀上野城の高石垣を見てから津城へ寄ったので、藤堂高虎が城郭の基盤ともいえる石垣をいかに堅牢なものにしようとしたかが窺えました。また伊賀上野城の高石垣が立派なものであることも津城を見てから再認識できました。


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