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別角度から
犬山城【国宝】
場 所 愛知県犬山市大字犬山字北古券65−2
訪問日 2003年12月20日(土)曇り
歴 史
別名:
白帝城
築城年:天文6年(1537年)?
築城者:織田信康?
形状:平山城

犬山城は、天文6年(1537年)に現在の位置に天守が造営され、織田信康が城主となったが天文16年(1547年)岐阜の稲葉山城で戦死、その子織田信清が城主となった。
その後何代か城主がかわり、文禄4年(1595年)石川備前守光吉が守った。
慶長5年(1600年)の関ケ原の戦い後、小笠原和泉守吉次が入城した。
この石川、小笠原の両氏によって、近世の犬山城が完成された。
その後、平岩主計頭親吉のあと、元和3年(1617年)成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が継いで明治に至った。
明治4年9代目正肥のとき、廃藩置県で廃城となり天守を除くほかはほとんど取り壊された。同24年濃尾震災で天守の東、南と西北の附櫓、城門が壊れたので、同28年旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で譲られ
唯一の個人所有として現在にいたっている。
昭和10年国宝に指定された。

2004年春
城主交代
犬山城、2004年春財団に移管される。

国宝の城では唯一個人が所有する犬山城の所有権が、城を管理する犬山市と12代目城主の成瀬正俊さん側との協議の結果、2004年春新たに発足する財団法人に移管されることになった。
これにより、成瀬家は天守閣と土地のほかに、約6500点の古文書や工芸品、刀剣を寄付する。
犬山城は高額の相続税の対象となる為、個人所有を続けた場合、古文書などが散逸する恐れがあったが、これにより財団の管理下で未調査の文献などの研究が進むことが期待されている。
アクセス 名鉄:犬山線「犬山駅」よりタクシーで5分。
自家用車:国道21号線を「鵜沼東町」交差点で南下し、犬山橋を渡ったらすぐ西にあり。
問合せ先 犬山城管理事務所:0568−61−1711
開城日 年中無休
時間:9時〜17時(入城は16時30分まで)
(12月29日〜12月31日までは休城)
入城料 大人400円

小振りですが歴史の重さを感じさせるお城です。季節を変えて訪れると味わいがそれぞれ違っていいものです。桜の頃は特におすすめ!


別角度から
名古屋城
場 所 愛知県名古屋市中区本丸1番1号
訪問日 2003年12月21日(日)晴れ
歴 史
別名:
金鯱城・柳ケ城・蓬左城・亀尾城・鶴ケ城・金城
築城年:慶長15年(1610年)
築城者:徳川家康
形状:平城

名古屋城は、関ケ原の合戦後徳川幕府を開いた徳川家康が慶長14年(1609年)に、東海道の要所として、また大阪方への備えとして、清洲から名古屋へ遷府を決め、加藤清正・福島正則・前田利光など諸大名20名に普請(土木工事)を命じ、天守閣や諸櫓の工事は慶長17年(1612年)にほぼ完成した平城である。
その後、明治維新までは徳川御三家の筆頭尾張家の居城として栄える。

昭和20年5月、名古屋空襲で大・小天守閣、本丸御殿はじめ建物のほとんどを焼失。
幸い3つの櫓(西北、西南、東南)と3つの門(表ニ之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は焼失を免れ、現在重要文化財として指定されている。

アクセス 地下鉄:名城線「市役所」下車
開城日 年中無休
時間:9時〜16時30分
(12月29日〜1月1日 休城)
入城料 大人500円

大阪城ほど近代化されてはいないけど、やはり人の手が入ってる感は否めません。


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