歴 史 |
別名:霞ケ城
築城年:天正4年(1578年)
築城者:柴田勝豊
形状:平山城
1575年(天正3年)柴田勝家が本城北ノ庄城に対する北方の支城として甥の柴田勝豊に豊原城を築かせたが、翌年の天正4年に豊原から丸岡に移り、城を築いた。これが丸岡城である。
勝豊以後は、安井家清、青山修理亮、同忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となった。
大正中期より堀は埋め立てられ、現在は本丸と天守とわずかな石垣を残すのみとなっている。
丸岡城は、現存する天守閣の中で最も古い建築で、三層(一見二層に見える)になっており、建物の入口は石の階段になっている。
また屋根瓦は寒冷地に凌げるようすべて石造りになっているのが特徴である。
昭和25年天守が国の重要文化財に指定された。
望楼型天守:大きな入母屋造の建物を基部とし、その上に望楼を乗せた形式の天守(古式)
別名:霞ケ城
地形:平山城
公園内には400本の桜が植えられ、「日本の桜名所100選」にも選ばれている。
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