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毛利輝元が築いた平城
広島城
場 所 広島県広島市中区基町21番1号
訪問日 2007年5月1日(火)晴れ
歴 史
別名:
鯉城(りじょう)
築城年:文禄元年(1592年)〜慶長4年(1599)
築城者:毛利輝元
形状:平城

毛利元就の代に中国地方の大半を支配する戦国大名に成長し、その後を継いだ孫の輝元は瀬戸内海に面する太田川河口の三角州に城地を定め天正十七年(1589年)4月15日鍬入式を行った。

築城工事は急ピッチで進められ、天正十八年末(1590年)には堀と城塁が一応完成し、翌年輝元は入城を果たした。


慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦後、輝元に代わって領主として福島正則が入城し、外堀外郭の整備を進め広島城を完成させた。
元和五年(1619年)正則に代わって和歌山から浅野長晟が安芸一国・備後半国の領主として広島城に入城した。
以後、明治二年(1869年)の版籍奉還までのおおよそ250年間、浅野氏が十二代にわたって広島城主をつとめた。

明治以降、城内には旧陸軍の施設が徐々に設けられ、建造物は次第になくなっていった。
明治七年、本丸・三の丸で出火し、本丸御殿等も焼失し、大天守、中・裏御門、二の丸等を残すのみとなった。
昭和二十年(1945年)8月6日、原子爆弾により天守閣をはじめ城内の建造物はすべて壊滅した。
現在の天守閣は昭和三十三年(1958年)に外観を復元して建造されたもので、内部は武家文化を中心に紹介する歴史資料館になっている。
アクセス バス・路面電車で「広島バスセンター」または「紙屋町」下車、北へ徒歩15分。
問合せ先 082-221-7512
開城日 年中無休(9:00~18:00  冬期は17時まで)
休館日は12月29日〜1月2日
入城料 大人360円


【写真】名勝「縮景園」
縮景園は、回遊式庭園で、広島藩主浅野長晟が入国の翌年、元和六年(1620年)から別邸の庭として築成されたもの。
作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇です。
昭和二十年の原子爆弾により壊滅状態になってしまいましたが、県教育委員会が戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、名月亭なども復元されました。
高層ビルが立ち並ぶ中、ここだけは別世界のように静かで、侘び寂びの高尚な世界に浸れます。


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