![]() |
[登山日記のメニューへ] |
片知山(966m)〜南岳(1086m) 平成15年3月9日 晴れ | |
![]() |
|
![]() |
![]() まえがき・・・片知渓谷は新緑と紅葉の名所。その里山の象徴でもある片知山は昔から信仰の山として親しまれ、円空上人ゆかりの山としてもよく知られている。 |
![]() 美濃市から片知渓谷を走り、口板山神社に車を止めて片知山を目指す。 登山口の案内板には「瓢ガ岳登山口」と記されている。 神社横の舗装道を歩いていくと、自然にヒノキ林の登山道に入っていく。 神底谷を渡り、少し登ると大きな堰堤があらわれ、それを左に回りこんで、沢を右に見ながら登っていく。 登山口の標高が150mそこそこだったので、今日の山はほとんど下から登ることになる・・・難儀だなぁ |
|
![]() 傾斜が次第にきつくなり、沢を渡り返したところに最初のお地蔵さんが祀ってあった。そっと手を合わせる。 その先にまっすぐ進んでしまいそうな道に白ヒモが張ってある。 ヒモがなかったらそのまま登ってしまっただろう。 左に大きく回りこんで「三十三曲がり」とよばれる九十九折れの道を登りつめていくと、大きな岩を背負った岩屋観音堂の前に出た。 堂には円空作の十一面観音薬師如来像が祀られているというが、拝観はできない。ちなみに、ここまでお地蔵さんの数を数えていたら10体あった。 |
|
![]() |
|
![]() 観音堂からは、笹の下草を踏みしめながら一登りすると尾根に出る。 昨日からの寒波で道がカチカチに凍結しており、注意が必要だ。 まもなく、道は2つの大岩の間を抜けて、最後の登りにかかると片知山に着く。 おせいじにも展望が良いとは言えないが、南西に恵那山が見えるのが救いか・・・ ガイドブックにあった電波反射板とやらは見当たらない。 |
|
![]() ここでピストンして戻るか思い悩んだが、時間がまだ早かったので南岳まで足を伸ばすことにした。 北へ一旦ゆるやかに下り、雑木帯の尾根を歩く。 展望がきかない中、切れ目から左手前方に「今淵ガ岳」がみえてきた。 |
|
![]() |
|
![]() 尾根歩きを30分もすると、行く手にこれからピークを踏む南岳の全容が現れる。 なだらかで女性的な山容だ。 抜戸岩への道を左に分けて、アイスバーンの登山道を登りつめていくと南岳に着く。 片知山から1時間の道のりである。 |
|
![]() 登山口で同時にスタートした男性が先に食事を作っていた。 こちらはメモをとり、写真を撮りながらの「ながら歩き」なので、30分も差がついてしまった。 話の流れから関山岳会のリーダーさんという事が分かり、この正月に奥穂高まで単独で行かれ、猛雪の中テント泊をしてきたという。 そこへ、今度は各務原市で会をもっているという別のリーダーさんが単独で現れ、またそこで話が盛り上がってしまった(^-^) リーダーさんの苦労話はなにかと参考になることが多い。 |
|
![]() |
|
![]() 南岳で長居をしていたら、寒さで体がガタガタ震えてきた 。 ここで、私と関山岳会のOさんは来た道を戻ることに、各務原市のAさんはさらにこの先の瓢ガ岳へ向かわれた。 南岳からは瓢ガ岳と奥瓢ガ岳の頭だけが見える。 |
|
![]() 南岳から10分ほど下ったところの分岐で関のOさんと分かれる。 抜戸岩への道で、10人ほどの団体さんの後ろについてしまったので、抜くに抜けなくなった。 道はアイスバーンになっているので、前をいく女性が何度も滑って尻餅をついていた。 他人事ではなく、かなり危ない箇所があったので、木の幹を支えにおりた。 途中からは、沢を右へ左へと渡り返し大岩を過ぎると、ほどなく抜戸岩の登山口についた。 |
|
![]() |
|
![]() まだ駐車場まで1時間ほどの車道歩きが残っている。 この車道歩きほどつまらないものはないが、せめてもの慰めは南岳、片知山、今淵ガ岳を眺めながら、明るい渓谷沿いの道を歩けること位か・・・ |
|
(談) この日は、前日と同様気温が低くて傾斜のきつい登りには絶好のコンディションでしたが、山頂でじっとしていると寒さで震え上がりそうでした。これで、高賀三山の周りで残る山は矢坪ガ岳だけ\(^o^)/ |
|
コース紹介マップはこちら |
![]() |
<参考コースタイム>
|
[登山日記のメニューへ] |